どうも、土岐です。
現代はまさに2極化が加速する時代
だと言われていますよね。
まさにその言葉通り
あらゆる物事が極端に2極化している
ことは言うまでもありません。
何よりも時代の変化のスピードが
極端に早まっているこの時代に
変化ができない…
ということは容赦無く
置いていかれることになります。
正解、不正解
常識、マナー
こうしたことも著しく変化し、
2極化している時代なんだと
あなた自身も気づいているはず。
そんな時代だからこそ
『住み分け』
の重要性をお話します。
自分自身を許すことで
見えない鎖から解放されよう
今回の『住み分け』とは
何も物理的な意味ではなく
端的に言えば
『関わる人を選ぶ』
ということです。
例えばの話、
あなたの周りにもいるかもしれませんが
マナーやルールに過剰にうるさい人
がいますよね。
名刺交換のマナー 上座、下座などの常識 お酒の席でのお酌の仕方 形式的なメールの書き方 お辞儀の角度等..
ひと昔前は重要だとされていた
これらの古臭い常識、マナー。
言い方を変えるのなら、
現代において何の意味もない常識、マナー
こうした見えない鎖のことをいう。
現代において
守るべき何のロジックも持たない常識やマナー
これらを宗教のように
盲目的に守る人たちがいる一方で
『さすがにもう必要ないよね..』
と本音では思っている人たち。
現在では圧倒的に後者が多い
ということはあなた自身も実感があるはず。
もしくは無意味だと理解してても
後ろ指を指されるのが嫌で仕方なく守っている
という人もまた多いでしょうね。
『わかる!わかる!』
と思わず頷いてしまうかも。
マナー講師という存在が
次々とマナーを量産する中で
あたかもそれを一般論とみなし
人々を見えない鎖で縛っていく。
言うまでもないことですが、
常識やマナーというのは
正しい間違い、もしくはロジックよりも
多数決で決められているもの
という実に幼稚な真実。
つい最近ではテレワークの重要性が叫ばれ
ZOOMなどのオンラインでの会議でも
上座下座を守るようにしろ!
などといまるでギャグのような
謎の新マナーも登場していましたね。
zoomの普及により、新たな変なマナーがたくさん生まれてますね。オンライン上座とか、退出のマナーとか。当方は、真夏でも上半身はワイシャツ、スーツ、ネクタイ、下半身はトランクスで頑張っています(嘘です)
— ぼこ太 (@OverclockPJ) July 31, 2020
NHKの夕方のニュースでIT企業がコロナ対策に「オンライン飲み会」やってたけど、日本人はマナー(を作り出すの)が得意なので、すぐに、オンライン上座下座とかオンラインお酌とかオンライン料理取り分けとか始まるんでないの?
— 自家製パンチェッタ (@jikapan) April 2, 2020
zoom上座下座のツイート見て鳥肌立った。リプライに「上司が切るまで切らない」もあって恐怖。このヤバい変態概念が生きてるの世界中で日本だけだと思うまじで怖い。
— yura (@yurabob) July 4, 2020
現代における
上座下座とは一体何の為に..
そもそもマナーとは何なのか..
多くの方が疑問に思うことは
もはや言うまでもありません。
マナー、常識にうるさい人ほど
ギスギスして周囲を緊張させ萎縮させる
ことは言うまでもないでしょう。
それこそ、
他人に対する配慮やマナーとは何なのか?
是非がが問われることですね。
こうした量産されたマナーという鎖に
自分自身を縛り付けていくことは
多くの封印された自分自身が存在する
ということになる。
過去のこのブログでも書きましたが
許せないと思ってしまう対象とは封印してきた自分自身の投影である
ということです。
『嫌いな人』の本当の正体!嫌いを無くす唯一の方法をお話する
つまり簡単に言えば
見えない鎖で自分を縛りつけていくほど
他人の許せない部分が増えていく
という人格を形成していく。
マナー、常識に過剰に神経質な人が
ギスギスしている理由とはまさにこれ。
結果的に、自分自身を許せていないのです。
逆に、細かいことを気にしないで
おおらかな人ほど他人にも寛容。
自分も許しているから
他人も許すことができる。
簡単なことでしょ。
あなたが住み分けをするなら
どちら側と一緒に生きていきたい?
マニュアルロボット型人間から
自立型人間へ
とは言うものの、
古臭い常識やマナーが
そう簡単には無くならないもの。
むしろ、そうしたことを
守るのが大好きな人もいる笑
自分自身も否定はするつもりはないし、
大好きな人は喜んで守ればいいわけです。
それこそ二元論的に
対立することも無意味。
そこで重要なのが住み分けというわけです。
どちら側の人間であろうとも
両者が混合する環境では
地獄でしかありませんよね。
どちらが正しくて間違い
正解、不正解という思考こそ古いわけで
上手く住み分けをする時代ということです。
正論を振りかざし正義感に過剰に溺れる人の正体と心の闇を暴く
派閥、対立という原始的思考を捨てて
住み分けをして快適に過ごせる環境
を意識してみて下さい。
争ったところで平行線が続くだけ。
あくまでもマナー常識の世界の話は一例ですが、
まさに2極化な時代なわけです。
形式的なマナー、形式的な所作など
皆が皆、同じ動作、仕草で
行動する姿は異様な光景であることは
一度は感じたことあるでしょ。
もうこのようなマニュアルを守るだけなら
人間じゃなくても良い時代です。
しかしながら…
小さな子供でも理解できる
ちょっとした日常的なマナーが
守れない大人が何と多いことか
という問題も多いのも事実。
電車から降りたいのに 出入り口でスマホをいじって 棒立ちしている人がいる
あなたは加害者側でしょうか?
それとも被害者側でしょうか?
こうしたちょっとした周囲への気遣い
他人への配慮、もしくはちょっとした敬意
これらも意識できない大人も多いことが事実。
マニュアル的なマナー、常識というのは
思考停止してる人にとっては楽なものかもしれません。
しかし、実際には
その場の状況、場所などによって
常に意識すべき時もあります。
思考停止する側
常に自身で思考し行動する側
どちら側に住み分けするかを
今すぐ決める必要があるでしょう。
今回強く伝えたいことは
自分自身を見えない鎖で繋ぎたがる人は他人も同じように縛りたがる
許せない相手は自分自身の投影である
ことを重ねてお伝えしたいです。
もし自分自身を縛って苦しんでいるのなら
少しずつでも手放してみてはどうでしょうか。
本当に相手に敬意を持っているならば
相手を見えない鎖で繋ぐことをしませんからね..。